2012/07/16

神奈川県三崎:「三崎北條遊郭」

三崎へ行ってみました。

おー。ここですか。案内板にしっかりと記載されていますよ。

遊廓区画に掛かる橋「新諏訪橋」です。

「昭和29年3月竣功」とあります。売春防止法の施行が昭和33年(1958年)ですから、売春防止法以前の橋になりますね。

橋のたもとには大きなお宅があります。

木製の手摺などありますが、こちらはどうやら妓楼ではなさそうです。アパートかな?

狭塚川と道路に囲まれた三角形の地域は現在駐車場になっています。スクラップの車。こういう荒み要素って何やら勘ぐってしまいます。

駐車場の奥には大きなお宅。

古今東西風俗散歩さんのサイトによれば、元料亭と思われる仕出し屋だったそうです。遊郭部が尋ねたときは看板はありませんでした。既に廃業して久しいご様子。

細い路地が残っていたので裏側から。

木造家屋がなかなか雰囲気残しています。

海側から北條遊廓へのルートには、定石通りの小さい飲み屋が並んでいます。




コチラには屋号が残ってました。「ちとせ」

この一連の物件群は狭塚川との狭い区画にへばりつくように建ち並んでいます。ドサクサ感満載。風情ですねぇ〜…。

湊から男性たちが遊郭へフラフラとこの道を辿ってきたのでしょうか…。


三崎の遊郭跡に関してはあまり情報がありません。全国遊廓案内には「三崎町北條遊廓」と記載されていますが、区画に関してはイマイチ判然としません。

ちなみに北條遊廓の情報を探すとこの辺りが出てきてしまうのですが、これは間違いです。

今回(毎回ですが)、適当に彷徨いましたが、何とか北條遊廓を見つけることができました。見つけることができたのは、たまたま話しかけてきてくれた地元の古老のおかげでした。

なんでも、かつては全国のナイトクラブでシンガーとして巡業していたそうです。最後は岡山で10年唄い続け、故郷の三崎に戻ってきたのだとか。芸名は「福井浩二」で活動されていたそうです。上下に水色の洋服を召された紳士で物腰柔らかな方でした。

先ほど北條遊廓はここではないと述べました。確かに辰巳屋旅館のある辺りは北條遊廓ではないのですが、ここ自体も遊里であった可能性は否定できません。

  • 古老の方がここから北條へ移った、と教えてくれたこと。
  • 湊から神社へ続く道にスナックが点在しており歓楽街的要素が強いこと。
  • 辰巳屋旅館には休憩時間が設定されていること。

北條遊廓ではありませんが、かつての遊廓もしくは青線的要素はあったのかもしれませんね。

三崎界隈の遊廓については引き続き調査していきたいと思います。

東京都品川:斜め手摺ドアの物件

品川の遊郭を調べている最中、面白い物件を見つけました。

こちらです。遊郭探しにストリートビューは大活躍しますね。
おー!斜め手摺のドアではないですか!
カフェー建築と言えば斜め手摺のドア。品川遊郭の近くにこの物件…。遊郭好きなら誰もが惹かれる様式では無いでしょうか。これは気になりますねぇ。

カフェーなのか、現在も残っているのか不明ですが、思い立ったが吉日。ちょっと行ってみましょう。

はい。着きました。
かなり傾斜がありますね。というのも、品川宿は海際にありました。なので、江戸時代はこの先はもう海だったんですね。

さて、斜め手摺物件は現存しているでしょうか?あまり期待しているとがっかりするので、こういうときははやる気持ちを抑えながら、そろそろと近づくようにしています。

おー!ありましたよぉ!

正面から。

もう少し近づいてみましょう。出窓らしきものがあります。

もっと近づいてみましょうか。

バーの部分は新しく取り替えられていますが、根元の部分は古いままのようです。年季が入ってますね。

肝心のこの物件の成り立ちですが、古い住宅地図で確認したところ、「玉水写真館」という店舗だったようです。

なかなか古くて無人物件のようですから、無くなるのも時間の問題かもしれません。